坂下宿から関宿、亀山宿、庄野宿 その1

今日はJR三雲駅から出発し、水口宿、土山宿を抜け、鈴鹿峠を越えてきた。まもなく三重県(伊勢)最初の宿場町、坂下宿。

山村の道を下って行く。風が心地よく、空気が美味い!

坂下宿

上段:スタンフォード大学所蔵 明治25年測量 大正12年修正 大日本帝国陸軍測図の地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、坂下宿は、本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒、家屋は564軒あり、山間の小さな村だが険しい鈴鹿峠を控えた宿場町として賑わっていた。江戸日本橋まで、あと107里29町7間。

松屋本陣跡は今は集会所になっている。慶安三年の大洪水で宿が崩壊し現在の場所に移転した。江戸時代には本陣三軒、脇本陣一軒、旅籠四十八軒を数える東海道有数の宿場でとても賑わっていた。今は人がどこにもいない。

坂下宿の町並み。人がいない。

望遠鏡があるようだ。この辺りさぞかし夜は真っ暗なんだろう。夜空が暗いと星の観察にはもってこいだ。都会の夜空は真夜中でも薄ら明るい。

道端に第一村人発見。忙しそうなので話しかけない。

どの家の壁にも絵手紙が飾られている。家の周りも花を植えたりと、きれいにされている。でも人がいない。

国道1号線に合流し坂を下って行く。

歌川広重の坂之下宿の画は筆捨山を望む茶屋の風景が画かれている。筆捨山バス停を見つけこの辺りを散策してみる。スマホナビで山の方角を見てみるが民家が邪魔で山が見えない。

この辺りも人がいないことをいいことに、すんませんオーラを出しながら布団を干している庭先から裏手に回ってみた。

阪之下(筆捨嶺)

歌川広重 東海道五拾三次 阪之下 筆捨嶺 保永堂版

広重の坂之下の題材は関宿と坂下宿の間にあった藤の茶屋から望む筆捨山。茶屋の先には八十瀬川の深い谷が画かれている。筆捨山は実際は標高286mと高くはないが、松の木が生い茂り所々岩が露出し滝が流れている様子が鈴鹿山中の険しく変化に富む絶景を表現している。

山の稜線も似ているし、茶屋のような農家も構図に入った。広重の筆捨山は岩肌で滝が流れている。現在の筆捨山も一部岩肌が出ているが滝は無さそう。でも人がいない。坂の文字を阪に修正せねば。

山を下るともうすぐ関宿。

関宿 西の追分。7世紀に鈴鹿関が設けられていたのが地名の由来。天保14年(1843)には本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠屋42軒、家数632軒があったとされ、鈴鹿峠を控えた東海道の宿駅として、伊勢別街道や大和街道の分岐点として繁栄した。

関宿

上段:スタンフォード大学所蔵 明治25年測量 大正12年修正 大日本帝国陸軍測図の地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、関宿は、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠屋42軒、家屋632軒だった。伊勢街道が南へと分かれる宿場として栄えていた。東の追分から西の追分までの約1.8kmにわたり、伝統的な町家が200棟以上現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区と日本の道100選に選定されている。江戸日本橋まで、あと106里5町7間。

西の追分休憩施設。

郵便取次ぎ店。

新所の町並み。電柱と電線が無いのでとてもすっきりとしたレトロな町並み。

電柱がないとこうも良い景観になるとは。どうせならマンホールもどうにかしたい。

関地蔵院付近。他の宿場町では旧街道沿いの旧家古民家の町並みをムシバムように現代風の建物がちょこちょこ建っているが、ここ関宿は現在風の建物が無いのがとても魅力だ。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚になれる。

山菜おこわが名物の会津屋。

聖石屋。パワーストーンや化石を売っている。

向かいに2号店

この辺りから中町の町並み。時代劇のセットのような関宿はレトロ感が満載で、町全体に活気がありとてもすばらしい宿場町。

高札場跡。奥にはレトロな郵便局がある。

旅籠 玉屋。

旅人宿 石垣屋。

伊藤本陣跡。

関(本陣早立)

歌川広重 東海道五拾三次 関 本陣早立 筆捨嶺 保永堂版

広重の関宿は、まだ夜が明けきらない早朝、本陣に宿泊した大名行列の出立前の様子を画いている。路上に立てられた札は宿泊している大名の名を記した関札。御用と書かれた提灯を持つ役人らしき人物と年配の武士とがやり取りをしている様子や、門の前では上役が出てくるのを待つ腰を折った武士たちの姿が画かれている。本陣の幔幕に染められた家紋は広重の父方の実家である田中家の田と中を組み合わせた紋様で、門の前で中間がが持つ箱提灯にはヒロ印が画かれている。本陣内の下げ札には当時の有名ブランドであった白粉「仙女香」と白髪染め「美玄香」の名が書かれていて、「京ばし南てんま丁三丁め 坂本氏」と店の場所まで記されている。

伊藤本陣跡。まあ夜明け前でないし今から出発する人もいないが、広重の本陣の画とイメージは一致したことにする。

百六里庭。江戸日本橋から関宿まで106里の距離なので百六里庭。

写真を撮っていると、「ごめんねぇ」と遠慮してくれたおばあちゃん。おばあちゃんが入った写真が撮りたかったのだ。

桶屋さん。自転車についてけっこう長い時間立ち話。ご主人も琵琶湖一周(びわいち)や淡路島一周(あわいち)など自転車乗りだったそうだ。鈴鹿峠もノンストップで登っていたとかいないとか。

木崎の町並み。

東の追分。関宿の江戸側の入り口。関宿とても良かった。また来てみたいと思う宿場町だ。いつまでもこの景観を守って頂きたい。