泊りでへんろ お鶴太龍 再挑戦 その2

阿波三大遍路ころがしのひとつ鶴林寺を登りきり、次の札所である太龍寺を目指す。せっかく500m級の山を登ったのに、一旦下りてまた500m級の山を登らなければ太龍寺には辿り着かない。でも今からはお楽しみのヒルダウン、下り坂~。

鶴林寺山門から、いよいよお楽しみのヒルダウン。さすがに寒くなり上着を羽織る。

鶴林寺から麓の水井橋までのルートを「ルートラボ」で標高マップを描くとこんな感じ。全行程下り坂だぜぃ。

路面はまずまず。コーナー手前で対向車には気をつける。

こけたら頭割れるかも。

途中、視界が開ける。あの山が太龍寺なのだろうか。

歩きへんろ道は階段で下って行くようだ。マウンテンバイクなので階段でも行けそうだが・・・

やっぱり下りスラロームを楽しもう。逆打ちとなるからか、対向車はまったくいない。

あぁ、楽しい下り坂が終わってしまった。小一時間掛かった山登り、下りはわずか10分足らず。しかしこのあと500m級のヒルクライム太龍寺が待っている。辛い後には楽しい事がある。楽しい事の後には辛いことがある。楽しい事だけで生きていきたいが、辛いからこそ楽しい事がもっと楽しく感じられるのかもしれない。などと悟りを開いたような事を考えているうちは、なんちゃってお遍路さん。

ここを右に行くと6kmで太龍時ロープウェイのりば。左に行くと太龍寺道という遍路道。ロープウェイに後ろ髪を引かれながらも左に進む。実のところ、この太龍寺を打つにあたり、どのルートにするか頭を悩めていた。

黄色のルートで鶴林寺から水井橋まで下ってきた。太龍寺を参拝した後は白色のルートで平等寺へ向かう。それだけは決めていた。

紫色のルートを行くと那賀川沿いに舗装路を6kmほど走り、ロープウェイで登ることになる。自転車もロープウェイに積む事ができるので楽々太龍寺まで行ける。おとな往復2,470円、帰りは青色のルートを自転車で下るので片道だけだと1,300円。

赤色のルートを行くと太龍寺道という古くからのへんろ道。途中の点線部分はかなりな急坂で自転車で通れるのか分からない。

青色のルートを行くとかなりな大回りとなるが、車も登れるので安心感はある。距離は14kmほどだろうか。

緑色のルートは、かも道という弘法大師が通った最古の歩きへんろ道。最近整備され通行できるようになった。青色のルートを行き加茂町の一宿寺から登る。緩やかに高度を上げるので自転車でも行けるかもしれない。歩きだと2時間ほどかかるようだ。

この時点で時刻は14時50分。太龍寺の納経所が閉まるのが17時なので2時間以上ある。なのでどのルートでも登るのは余裕だが、この季節17時を過ぎると急速に暗くなる。さらに山深いこのあたりは暗くなるのがもっと早いだろう。明るいうちに登って下りてきたい。という事で、イチかバチか最短距離の赤色のルート太龍寺道を行くことにした。

那賀川を渡る水井橋が見えてきた。

横殴りの風がすごい。

秘境感がものすごい。賽の河原かここは。

絶景かな。

川の色はミルキーグリーン。

国史跡の阿波遍路道、太龍寺道はまだ先のよう。太龍寺まで3.8km。

道幅は軽自動車がやっと通れるくらいしかない。左側は木々が茂る崖になっている。路面はコンクリート舗装されているが荒れている。よそ見していると崖下へ真っ逆さま。落ちたら誰かに気付いてもらえるやろか。

おじいちゃんとおばあちゃんが乗った軽トラが下ってきた。路肩ギリギリで走り去っていく。おじいちゃん、ものすごいドライビングテクニック。

滝などあったり。

坂道が続くが自転車を押して歩くほどではなく、ガシガシ進める。

坂の上から小動物が真っ直ぐこっちに歩いてくる。こちらには気が付いていないようだ。目の前2m程でようやく気が付いたのか歩みを止め、こっちをじっと見ている。襲い掛かって来られたらダッシュで逃げようと身構える。10秒ほどにらめっこしていたが、急にUターンし駆け足で坂道を登っていき山へと消えて行った。どうやらアナグマのよう。

ついに舗装路が終了。いきなり階段へんろ道が現れる。この時点で15時15分。でも自転車を押して登るには時間と体力がチト不安。ならばここに自転車を置いておき、歩いて登るしかない。帰りもここまで歩いて降りてこなければならないし、次の平等寺まで遠回りになるが致し方なし。

いよいよ太龍寺道。ゆっくり歩いても1時間もあれば太龍寺に辿り着けそうだ。誰もいない山道。山登りは慣れているがツレや自転車がないと寂しすぎる。

階段が整備されている。もくもくと歩く。寂しい。

周りは杉の木だらけ。春に来たらクシャミ鼻水満開だろう。

黙々と歩くしかない。

へんろ道、知ってるわっ!

舟形丁石。舟の形をした道しるべ。1丁(109m)間隔で置かれている。

階段は続く。階段があると自分の歩幅のペースで登れない。なのであえて階段でない端を歩いてみたりする。

木々がザワつきだすと、遠くから風が近づいて来るのが分かる。揺れている草にビビる。山の中で孤独感が襲ってくる。恐怖と寂しさの限界。

ようやく階段終了。ちょっと安堵。

何か見えてきた。

第二十一番札所 舎心山 常住院 太龍寺

縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜786年)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが「天正(1573〜1592年)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で他の堂塔は江戸時代以降に復興している。

弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約6メートルの「舎心嶽」という岩上で、1日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは大師が24歳のときの著作「三教指帰」に記されている。虚空蔵求聞持法は真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。

15時45分、太龍寺山門に到着。自転車押してきても間に合ったかな。

しぶい山門。

本堂はまだまだ先のよう。時間帯のせいなのか、まったく人に会わない。

坂道の途中に前の札所 鶴林寺が見えるスポットがある。みごとにピンボケ。

ようやく太龍寺に到着。

天井には龍が画かれている。

本堂までは、まだ石段を登らなくてはならない。もう階段は嫌だ。

石段の途中の鐘楼門。突ける鐘は突いておこう。ゴーーーンという腹に沁みるいい音色。

本堂。

太子堂。

多宝塔は岩の上の更に石垣の上にある。よく建てたものだと感心する。

眼下にロープウェイのりばが見える。ロープウェイで登って来ても本堂まではかなり石段を登らなければならない。

笑顔の素敵な明るくハキハキとしたお姉さんにご朱印をいただく。「寒いですねぇ」と聞かれ、「太龍寺道を自転車で来て途中から歩いて登ってきたのでまだ暑いです」と答えると、「えぇ~じゃぁ同じ道を戻らないといけないし、すぐに暗くなるし、宿はどこに取ってあるの?」と聞かれる。実は今日はどこまで進めるのか分からなかったので宿を予約していなかった。平等寺まで行ければ宿坊に泊まれるかな、などといつもの様に行き当たりばったり安易に考えていた。そのことを言うと、電話で宿の空き具合を問い合わせてくれた。「民宿碧」、「平等寺宿坊」、「民宿山茶花」はすべて満室。話し中だった何とかという民宿の電話番号もメモに書いてもらう。他にも地図を見ながら新野駅からJRで阿南まで行けばビジネスホテルがあるとの事。徳島まで行けばネットカフェもあるなと思いながら、お礼を言う。電話代は受け取ってくれなかった。お接待というヤツか。素敵なお姉さんと男前の素敵なお坊さんの親切に心打たれまくる。

雑談も交えながら舎心山 常住院 太龍寺ゲット。

太龍寺の樹齢300年という銀杏。たっぷり入って1袋100円と激安。もっとたくさん買えばよかった。

ほろ苦くモッチモチ。日本酒に合う合う!

さぁ暗くなる前に早く山道を降りなければ。太龍寺道の途中に自転車を置いてきたので、登って来た道を再び降りて行かなければならない。おまけに水井橋付近まで戻り、更には加茂の集落の辺りまで大回りでこの先進まなければ次の平等寺には辿り着けない。でも、くだりは滑るのさえ気を付ければザクザクと下りていけるので楽チンだ。。

途中、太龍寺へ向う歩き遍路さんに出会う。「寺まであとどのくらいありますか?」、と聞かれ「ちょうど半分くらいかな」、と答える。「時間大丈夫?」「納経所の閉まる5時にはぎりぎり間に合うかな」などと立ち話。「ところで下に自転車あった?」と聞くと、「自分が通ったときにはあったよ」との事。挨拶をして別れると、やたら鈴の音が後ろから聞こえてきた。振り向くとこちらを拝んでくれている。ナゼ?でもあぁ~ありがたや~。

日暮れと競争。駆け足気味に下って行く。

自転車あって良かった良かった。寺から20分ほどで下りてこられた。安堵からか腹が減り、ススキの野原を見ながらオニギリを食う。

薄暗い下り坂。道幅は狭く、路面は粗く、右側は崖。真っ暗になる前にへんろ道を抜けたいのでスピードを出す。ここでコケて崖下に落ちたら、いつ発見されるだろうか。ここで死んだら葬式は恥ずかしいから要らないな。

滝など愛でたり。

もっと明るいうちに見たかった絶景。

十八女大橋。この付近は十八女町、十八の女と書いて「さかり」と読む。十八女という地名が付いたのには諸説ある。ひとつは1185年の壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平氏方であった安徳天皇(平清盛の孫)が二位尼に抱かれて入水したかにみえたが、平氏の残党に警護されて落ち延びた。実は極秘にされていたが安徳天皇は姫宮で、十八歳になった時に名乗った名前が「十八女(さかり)」といいそこから付いたという説や、他には寛保神社帳によると百姓新左衛門の先祖である日下但馬守が18歳の姫を守護して当地に落ち延びて開発を行ったからとする説がある。

あっという間に真っ暗闇。テールランプが切れている事に気が付き、お遍路ステーションの玄関先で電池交換。ロビーから夕食食べてお風呂に入って幸せそうな宿泊者の人が不思議そうにこちらを眺めている。目の前には廃業となった民宿坂口屋が暗闇に不気味に建っている。あぁなんだか寂しさMAX。早く宿でゆっくりしたい。でもこの先もまだまだ街灯のない上り坂が続き、行き交う車のヘッドライトが途切れると辺りは真っ暗闇。自分のライトが2m先を照らすだけ。

阿瀬比の交差点から大根峠を越え平等寺へ向う歩きへんろ道がある。峠まで標高差60m程だが、この時間、真っ暗闇のへんろ道に突入するほどアホではない。右折すると「道の駅わじき」があるようだ。後ろ髪を引かれつつも先を急ぐため阿瀬比のガソリンスタンドを左折すると下りのワインディング。しかし真っ暗だと恐怖でしかない。

ワインディングを下りきり、山口小学校の前を右折、民家の灯りが寂しさを一瞬紛らせてくれる。

ようやく平等寺近くに到着。でも今日泊まる所は確保されていない。平等寺山門や民宿山茶花、無料の宿など徘徊してみる。

結局、この近辺では泊まれないし泊らない。無人駅の新野駅のベンチで今からの計画を練る。JRで徳島市内まで戻りスーパー銭湯とネットカフェの組み合わせよりも、阿南のビジネスホテルに泊るほうがリーズナブル。電話で空きを確認し、新野駅前に自転車を置き阿南駅へ移動。

新野駅から15分ほどで阿南駅に到着。

阿南駅から徒歩3分。阿南プラザインのシングルルーム。フロントのお姉さんが、とっても可愛らしい。

ビジネスホテルなのに立派な大浴場がある。サウナもあったり、脱衣所にはコインランドリーもしっかり完備。貸しきり状態で疲れを癒す。

今日の晩飯はホテル近くのスーパーで調達したチョレギサラダ(半額)とゴロゴロ野菜鶏唐黒酢玉ねぎあんかけ弁当(半額)、ポテチ(のりしお)と体に気を使ってアサヒオフ。プリン体・糖質・人工甘味料すべて0パーセント。という事は自然甘味料は入っているのか、などとへそ曲がりな事を考える。しかし、阿南プラザインは部屋もきれいだし、設備やアメニティも充実している。フロントのお姉さんもかわいいし、阿南プラザインは最高だ!