ネカフェでへんろ 土佐黒潮の旅 その3

今回は、祝日と土日のナカ日に1日有給休暇を取り4連休にして、青春18きっぷを使い鈍行で高知までやってきた。昨日は青龍寺を打ち、今日は須崎から自転車スタート。久礼から大坂遍路道の山道を自転車押して担いで登ってきた。

急坂山道は自転車押して進み、階段は自転車を担いで登って来た。上から見ると遠いようなさほど遠く無いような、微妙な距離感。でも、すでに半袖Tシャツ一枚になっているが汗だく。景色を見ながらしばしクールダウン。

七子峠には「ななこ茶屋」があるというので、ここで休憩しようと思っていたが、シャッターが下りている。

ぶっつぶれたガソリンスタンド。このタイプの給油マシンは昭和だな。

国道は進まず、遍路道をガシガシ進む。マウンテンバイクの本領発揮。

へんろ道と思って進んできたが、突然の柵で通行止め。道を間違えたかと思ったが、山から出てくるイノシシ避けのよう。自分で開けるのだが、自転車に跨ったまま開けようとして失敗する。しゃあなし自転車を降りるが、立てかけて置く場所が無いので、スタンドが無い自転車は倒しておくしかない。

柵の開け閉めにモタモタしていると、遠くで農作業しているオバちゃんに頭を下げられる。

散歩中のお爺ちゃんが絵になっているので、「写真とってもいい?」と聞くと、「何で俺を?」そりゃそうだ。

ディレーラーの調子がどうもおかしい。影野にある雪椿という休憩所で微調整する。テーブルの上には、遍路道の情報やお接待所の情報が書いている。通り道なので、お接待所に寄ってみようか。

のどかなへんろ道を行く。しかし今日はお遍路さんに出会わないなぁ。

七子峠を越え標高300m近い台地の窪川町(今は四万十町)に鉄道を引いた昔の人はエラいねぇ。

仁井田の遍路道沿いにある「風白遊庵」という、お遍路さんの休憩所。先ほど寄った雪椿に書いてあった情報によると、歩き遍路さんにはコーヒーお茶のお接待があるらしい。自分は自転車へんろだし、自らお接待して欲しいとは言いにくいので、しばらく様子をうかがっているとしていると、奥から呼ぶ声が聞こえてきた。

呼ぶ声の主はここ風白遊庵をひらいてられるご夫妻。地元産の紅茶とお米で作ったスイーツやお菓子をご馳走してくれた。ご夫妻は何度も歩き遍路をされているそうで、歩いて楽しい景色の良いへんろ道や、逆に歩きにくい道や通行止めの道、景色の良くない道、無料でカレーをご馳走してくれる民宿、などなど大変貴重で有力な情報をたくさん頂いた。気がつくと小一時間話し込んでいた。とても気さくで親切なお二人さん、どうもありがとうございました。

風白遊庵から10分ほど走ると「道の駅あぐり窪川」に到着。昼メシタイムと洒落込もう。

窪川(今は四万十町)の特産品は、仁井田米と四万十ポーク。レストラン風人では窪川の山の幸、川の幸、海の幸がいただける。手作りアイス「みるく工房」では搾りたての生乳で作るアイスクリームがいただける。濃厚なミルク風味のアイスクリーム。

窪川米豚丼は、窪川の「仁井田米」ごはんの上に、「仁井田米」で育てた「米豚」のロース肉の味噌漬けを焼いてのせた丼。でもレストランは満員御礼、そして1,000円という値段にチューチョし、やめた。

とりあえず、豚まんをいただく。普通の肉まんよりも一回り大きく具だくさんでジューシーな感じ。そして「みるく工房」のアイスクリームも食べる。

窪川から愛媛県の宇和島を結ぶ予土線の行き先表示は宇和島。いよいよ愛媛県も近いぞなもし。

のどかな窪川の町を走る。左はたばこ屋さん、右はガス屋さん。

美馬旅館はなれ 木のホテル。大きな窓ガラスの内側にはオシャレなアートが並んでいる。中で掃除をしている奥さんがこっちを見つめているが、今日の自分の予算ではちょっと手が出せない。

第三十七番札所 藤井山 五智院 岩本寺

歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3kmの付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

窪川の町ナカに岩本寺は建つ。

岩本寺の参道入口で商売している柑橘類の専門店、まるい。食いたいが小売りしている量が多い。自転車へんろにこの量はオモリでしかない。試食でも無いかなと、店内をのぞき見るが無さげ。

山門前の階段横に自転車を立てかける。山門前で40年前にお遍路をしたというご夫婦が三脚を立てて記念写真を撮っていたので、「撮りましょうかと」声を掛ける。40年前に撮った写真と同じ構図で写真を撮りながら四国を周っているらしく、セピア色になった40年前の写真を見せられ、同じ感じでとリクエストされる。

鐘を撞く。いい音~。住宅地なので近隣から苦情は来ないのだろうかと心配になる。

本堂をお参りする。境内の真横を汽車が轟音を立てて走り去っていく。

ご本尊は、阿弥陀如来、聖観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩の五体。

本堂内陣の格天井画。昭和53年に新築の際、全国から公募した花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩る。

木の絵がいいなぁ。

キャベツやら猫やらマリリンモンローやらある。

大師堂は200年ほど前の建造物で、境内では最も古い。

太子堂をお参りし、岩本寺をゲット!

岩本寺の宿坊でトイレを借りた後、次の札所である金剛福寺に向けて出発する。岩本寺から金剛福寺までは、札所間の距離が四国遍路最長の86kmもある。途中、土佐清水か中村(今は四万十市)あたりで一泊し、明日の参拝の予定。

標石と弘法大師像と巨大な水車。ここは、高知県民のソウルフード芋ケンピのお店「水車亭」。

土のうのごとく積み上げられた大量の芋けんぴ。普通の芋けんぴの他に、塩やら黒糖、ゆず、青のり、黒ごまなどバリエーション豊富。

知らないチャリンコのオッサンにも挨拶をしてくれる地元の子。

窪川から佐賀の町へ抜けるには、片坂峠を越えねばならない。ルートはふたつ、市野瀬遍路道と国道56線。市野瀬遍路道を行こうとしたが通行止め。が、ここは遍路道ではないとの張り紙がある。

市野瀬遍路道への入り口が分からず、国道を行く事にした。国道を行けばこの先はお楽しみの下りワインディングロード。

下りワインディングロードを快調に飛ばすと、途中にトンネンルがある。市野瀬遍路道はこのトンネルの上を越えている。

このトンネルを抜けた先に市野瀬遍路道を見ることができた。やっぱり遍路道は九十九折りで峠を越えるようだ。ここから先、遍路道を行こうか迷い、偵察がてら自転車を国道脇に置いて歩いて入ってみる。

急斜面を歩きやすいように金属の階段が設置されている。歩き遍路さんにはイイが、自転車担いで降りる気にはならない。逆打ちの歩き遍路さんに会うが、とてもとてもシンドそうに登ってくる。

という事で、下りワインディングロードを官能する。この下りのご褒美は、午前中に格闘した七子峠で稼いだ貯金分。

この区間、片坂バイパスが開通しているため車の通行がほぼ無く、快調に下りコーナーを走り抜ける。気持ちいい~

あんなにツライ思いをして七子峠を登った貯金は、あっという間に使い果たし、あっという間に終わってしまった。稼ぐのは大変だが使うのは簡単。辛い事は長い時間に感じるが、楽しい事はあっという間、あぁ人生を感じる。

さすが南国高知には関西よりも春の訪れが一足早い。

佐賀温泉のある荷稲付近から国道56号線を離れ、「風白遊庵」のご夫婦から教えてもらった風光明媚な伊与木川沿いの道を行く。

なるほど、自然豊かないい景色。

土佐くろしお鉄道も並行して走っている。

林を抜けて、

ススキ野を行く。

のどかな風景は心が洗われる。ような気がする。

伊与喜駅付近で橋を渡り国道に戻る予定だったが、行き過ぎて迷う。迷うのもちょっと楽しいのである。

とてもとても、のどかである。のどかで心が洗われるが、ちょいちょい仕事のいやな事も思い出す。

伊与喜から佐賀の町へは伊与木川沿いに国道56号線が走っているが、昭和14年まで県道として利用されていた熊井トンネルを通る。このルートも「風白遊庵」のご夫婦から教えてもらった。途中に遍路道があるので、行く。

ここの遍路道はわずか20mほど標高を上げただけだった。

熊井トンネルは、昭和14年まで県道として利用されていたが、現在利用するのは土地の人と物好きくらい。