堺をうろちょろ 百舌鳥古墳群

ゴルフに行く事になっていた2日前にメンバーの一人がインフルエンザに罹ってしまった。3名+3名でエントリーしていたので、もう1名を急遽探すが間際過ぎて見つからない。天気予報は下り坂、おまけに今シーズン最強寒波が来るらしい。ゴルフは日程順延する事にしたが、いきなりヒマになった。さてどうしよう。

大阪市の南側に隣接する堺。堺は戦国時代、貿易港として明や南蛮との貿易など海外との拠点として発展。その当時、町の周囲に運河を巡らした環濠都市を形成し、自治都市として繁栄していた。さらに昔、大和朝廷が成立したころ、堺には仁徳天皇陵古墳や履中天皇陵など100基以上から成る百舌鳥古墳群が造られた。そんな堺をうろちょろしてみる。ついでに竹内街道で奈良まで行ってみようか。

今昔マップon the web 大正元年発行の地図。運河で囲まれた市街地は拡大し、海岸線はコンビナートの埋め立てにより無くなっている。

今日の出発は南海本線の堺駅東口から。

堺駅南側の運河に架かる南蛮橋の上でたたずんでいるのはザビエル。

堺魚市場。実は堺には漁港もある。

店内には朝からお客がテンコ盛り。

堺港から堺駅方向を望む。ヨットに椰子の木、遠くに見えるのはホテル・アゴーラ・リージェンシー。お洒落チックだがここは堺。

オブジェかと思いきや、かもめでした。

龍女神像。高さ16mの石張りの台座上に10mのブロンズ製の乙姫像が建っている。

大浜公園は明治12年に開園した堺市営で最も古い公園。明治36年には東洋一の水族館と言われた堺水族館が設置された。当時は、関西有数のレジャー地として賑わい、白砂青松の美しい海岸線であった。

堺旧港南波止場に明治10年築造された高さ11.3mの六角錘形の灯台。埋め立てでその役割を終えたが、現地に現存する日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡になっている。今はコンビナートと湾岸線の高架に挟まれ悲惨な環境に置かれている。

臨海線を南下、とれとれ市の前を通り、出島へ向う。この川は自治都市時代の運河。

言わずと知れた、銀シャリ屋ゲコ亭。中で飯炊き仙人のオヤジさんが仕込みをしている。

阪堺電車、浜寺駅前行き。

大小路とフェニックス通りの交差点、宿院。

大浜北町交差点と一条通交差点の間の全長約1.5kmがフェニックス通りと呼ばれている道路、日本の道100選に選ばれている。

阪堺電車

さかい利晶の杜。堺が生んだ茶の湯の大成者「千利休」と日本近代文学を切り拓いた歌人「与謝野晶子」の生涯や功績にふれながら、茶の湯体験ができたり、観光情報を入手できたりする施設。

妙国寺。日蓮宗の本山。

本願寺堺別院。

北の御坊と呼ばれる現在の本堂は文政8年に再建されたもの。廃藩置県により堺県の県庁として使用されていた。

山口家住宅。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の直後に建てられた江戸初期の町家。

大小路に残る旧商家3連ちゃん。

大小路。

鉄砲鍛冶屋敷。

内部には鉄砲の筒が並んでいる。

お香の老舗。

お寺の向かいにラブホがあったり。

翁橋の飲み屋街。

堺東の繁華街へいってみよう。堺東は通称「ガシ」

ガシの風俗ビル♪

なんとも雑居な感じがガシっぽい。

立ち飲み街もあったりする。

外から見てもやっぱり雑居な感じ。

南海電車高野線の堺東駅。バラの包みの高島屋があったりする。

堺市役所。最上階の展望フロアから仁徳天皇陵が見えるらしい。

南海電車、高野線の踏切を渡ってみる。

反正天皇百舌鳥耳原北陵。墳丘長148メートルで百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさ。

JR阪和線、関空紀州路快速。JRの駅名は堺市駅。

仁徳天皇陵の北側。今は大仙古墳と呼ぶらしい。

前方後円墳の後円部分の外堀。ゆるやかなRが巨大さを物語っている。

エサをもらえると思ってか寄ってくる、ういヤツら

南東の角。

こちらが正面。前方後円墳の方の部分。

古墳で暮らすネコちゃん。

日本最大の古墳。墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9m

天皇のお墓を見下ろすようなマネはできないので、全景が見られるような展望台は無い。観光用の熱気球を飛ばす計画はあるようだ。

一周してみよう。

濠と森。

どこまで行っても濠と森。水面の高さはセクションごとに違っていて水が流れるようだ。

今日は足を伸ばし、竹内街道を奈良の長尾神社まで行ってみよう。