三雲から水口宿、土山宿、鈴鹿峠 その2

今日はJR三雲駅を起点に水口宿を通り抜けてきた。このあと三重県の桑名宿まで進みたい。

浄土寺の前にある一里塚。水口宿を過ぎ大野の町に入る。

街道沿いの町並みの外は田園地帯。

大野は大野村という「間の宿」だった。五十三次の宿場には選ばれなかったが、この付近、街道沿いにずっと古民家の家並みが続いている。

家々の玄関先にはご先祖の商売?を表札に掲げている。ここは魚屋さんだったよう。

こちらは仕立て屋さん。他にも扇屋とか、ひょうたん屋、おけや、両得屋、壷屋、米屋などなど。おもしろい。

杉玉の掛かった安井酒造。

様子を伺っていると、女将さんが顔を出し、日本酒好きなもんでと思わず口走ってしまう。奥から若女将が出てきてお相手してくれた。明治17年に創業、鈴鹿山系の伏流水と近江米を使用し醸す銘柄は初桜。

「初桜」が主銘柄だが若女将のおすすめ、地元土山産の米「日本晴」100%使用の純米晴を衝動買い。もうガマンできません。しかし一升瓶は重いし自転車なので宅急便で送ってもらった。いわゆる日本酒らしい日本酒でけっこう好みの味だった。およそ4日間で飲み干してしまう。2,500円也、手間隙や原材料を考えるとなんと安いんだろう。やっぱり日本酒が最高だ。

野洲川も秘境感が出てきた。

この付近には松並木が若干残っている。旧東海道は松並木で整備されていたようだ。

茶畑もときどき街道沿いに顔を見せる。

アーチ屋根のある歌声橋。旧東海道に掛かる橋らしからぬ洋風の橋。道なりに進んだが実は旧東海道ではなかったようだ。昔は松尾川には橋は無く、もっと北側を渡しで渡っていた。正確に旧東海道をトレースするのは難しいが、まぁおおらかに妥協しながら適当に。

歌声橋からの野洲川は秘境感ありありの絶景かな。

しばらく旧街道は国道1号線に飲み込まれている。1号線を走り南土山の交差点からいよいよ土山宿の本筋に入る。

土山宿

上段:スタンフォード大学所蔵 明治25年測量 大正9年修正 大日本帝国陸軍測図の地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、土山宿は、天保14年(1843年)土山家と大黒屋の本陣2軒、脇本陣は無く、旅籠屋44軒、家屋1,505軒だった。江戸日本橋まで、あと110里11町7間。

新茶のノボリ。土山はお茶の町。江戸時代は蕎麦が名物だったようだ。

宿場町らしい雰囲気の町並み。心がなごむ。あぁもう都会のストレスから開放されたい。

土山家本陣跡。寛永十一年(1634)に徳川家光が上洛する際に設けられた。

東海道伝馬館。入場無料。

二階家本陣跡。

甘味どころ。うかい屋。 ぜんざい、あんみつ、などなど。

東西22町55間(約2.5km)もの距離があった土山宿の町並みを抜けると国道1号線と交差する。そこには道の駅「あいの土山」。道の駅好きとしては寄らずにはいられない。トイレ休憩も兼ねて寄ってみる。

地酒がいっぱい置かれている。さっき買った安井酒造の純米晴も置いてある。飲み比べが出来るといいのに。道の駅ではできないな。

お茶の町らしく、緑茶ういろうと緑茶饅頭のセット。レジのお姉さんにおいしいか聞いてみる。あっさりしていて美味しいとの事。自分としては甘くてもかまわない。

ういろうはお茶の風味が利いていて、お姉さんの言うとおり、あっさりしている。饅頭のあんこも堪らない。

道の駅あいの土山を出発、国道1号線を横断すると田村神社の参道に入る。旧東海道は参道を通り境内の手前で直角に曲がる。この田村神社が歌川広重の土山宿の画なんだと、道の駅のお姉さんに教えてもらった。

鳥居をくぐり木立の中の参道をまっすぐ進んで行く。この参道が旧東海道。

坂上田村麻呂を祀る、田村神社の境内。玉砂利の境内を自転車で進むのは気が引ける。

更に奥にある社殿。本殿だろうか。お参りするがご朱印帳を忘れた。

土山(春之雨)

歌川広重 東海道五拾三次 土山 春之雨 保永堂版

広重の画は江戸側から雨の中鈴鹿峠を越え、渓流に架かる橋を渡る大名行列を題材にしている。うつむき歩く姿もあり皆疲れた様子が伺える。木立の奥に見える建物を田村明神社とする説があるが、実際の田村明神社はもっと立派である。広重は春之雨という副題のとおり、雨が多いこの地域の様子を画きたかったのではという説もある。「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」と歌う鈴鹿の馬子唄もあるくらい雨が多いようだ。

背後の森は先ほどお参りした田村神社の境内。田村川に掛かる橋は近代化されているが烏帽子もあり旧街道らしい雰囲気はある。橋を渡る大名行列を、今から鈴鹿峠ハイキングに向かう団体さんをモデルに表現したかったが、すでに渡り終えて間に合わなかった。おまけに今日は雨も降りそうに無い。