遊行寺坂から戸塚宿、保土ヶ谷宿、神奈川宿

京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。今日は小田原宿から出発し、大磯宿、平塚宿、藤沢宿と進んできた。電動チャリンコのおばちゃんに負けじと遊行寺坂を全力で登り汗だくになる。

横浜に入る。横浜のイメージといえば、港町、中華街、異人館、お洒落な町並み、あぶないデカ。

戸塚宿

上段:今昔マップon the web 明治20年測図 明治29年発行地形図  下段:Google Map 2018

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、戸塚宿は、本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠屋75軒、家数613軒。京からの旅人には相模国最後の宿場。江戸日本橋まで、あと10里18町。

畑が広がる、ここは横浜。だいぶイメージと違う。

野山が広がる、ここは横浜。だいぶイメージと違う。

小道を進む。

石段の立派な富塚八幡宮。

戸塚宿 澤邊本陣跡。

東海道ウォーキングの皆さんとすれ違う。

戸塚宿 内田本陣跡。向こうに見えるのはJR戸塚駅。totsukanaとかいてトッカーナと読むモール。

旧街道は東海道線に分断されている。線路を渡る陸橋へはエレベーターを使いましょう。自転車乗っても大丈夫。

戸塚駅を越えていく。

陸橋から降りるのは自転車路を降りましょう。スーパー踊り子が走り去る。

戸塚 元町別道

歌川広重 東海道五拾三次 戸塚 元町別道 保永堂版

戸塚宿を流れる柏尾川に架かる吉田橋。広重の画は、その吉田橋の東のたもとから西の方角を望む。「こめや」の看板の掛かる茶店は、かつてこの場所に実在していた。軒下に多数架かっている下げ札は、神仏を祭り参拝する講と呼ばれる団体さんの特約店である事を示したもの。また、橋のたもとの石灯篭の脇の標石には「左りかまくら道」と彫られている。ここから左に三里行くと鎌倉の鶴岡八幡宮に至る。

吉田大橋の東側から戸塚宿方向を望む。現代に同じ場所には茶店はないが、今も昔も人通りは多い。小学生は元気いっぱい!

不動坂。横浜に入ってから、やたらと坂道が多い。

再び坂道を登る。竹やぶを切り開いて高層マンションを建てる、の図。

ここから下りの品濃坂。

品濃一里塚。

再び登り坂道。新興住宅街が広がるが、まだまだ昔からの雑木林も残っている。この先、武蔵の国と相模の国の国境を過ぎ、権太坂へと進んで行くはずが、道を間違え元町橋まで下ってしまう。のぼりの権太坂を戻る勇気はございませんでした。

保土ヶ谷宿

上段:今昔マップon the web 明治20年測図 明治29年発行地形図  下段:Google Map 2018

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、保土ヶ谷宿は、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠屋67軒、家数558軒。江戸日本橋まで、あと8里9町。

昔は山と山の谷間を進んでいた東海道。今は山の谷間というより、山に建ち並ぶ住宅の谷間を進む。

保土ヶ谷本陣跡を過ぎ、東海道線の踏切を渡る。

カーブの複々線が波打つ踏み切り。

旧街道は保土ヶ谷駅前の商店街。

保土ヶ谷 新町橋

歌川広重 東海道五拾三次 保土ヶ谷 新町橋 保永堂版

題目の新町橋とは帷子川に架かる帷子橋のこと。広重の画は、その帷子橋から保土ヶ谷宿の家並みを画いているが、左向きに橋を渡り、右へと方向を変えた街道沿いには急勾配の屋根の家々が隙間無く連なり、奥行き感を出している。遠景のなだらかな山は権太坂。

帷子橋の架かる帷子川は河川改修工事で埋め立てられ、もう少し北側に川の流路を変えられている。昔、帷子橋のあった場所には天王町駅前公園があり、橋のモニュメントが造られている。

相模鉄道の天王町駅前公園の帷子橋のモニュメントを通り天王町駅へ進む。

天王町駅前は昭和の香りが漂っている、

横浜ランドマークタワーが上半分だけ見える。70階建て、高さ296.33m。大阪阿倍野橋に建つ「あべのハルカス」ができるまでは日本で一番高いビルだった。

前方に見えるのは、なんと歩行者天国。旧街道は洪福寺松原商店街となり、自転車は押して進まねばならん。

洪福寺松原商店街はめちゃめちゃ賑わっている。お店の人たちも活気があり、みんな元気いっぱいだ。おまけにめちゃめちゃ安い。ほうれん草3束150円、トマト1カゴ200円、レタス2玉150円。自転車旅でなければ買いまくりだ。近所にこんな商店街が欲しい。

神奈川宿

上段:今昔マップon the web 明治20年測図 明治29年発行地形図  下段:Google Map 2018

天保14年(1843年)の東海道宿村帳によると、神奈川宿は、本陣2軒、脇本陣なし、旅籠屋58軒、家数1341軒。海に面した高地にあり、神奈川の台ともよばれていた。漁師町で、江戸や房総、三浦半島を眺望できる景勝地。江戸日本橋まで、あと7里。

旧東海道は横浜駅周辺やみなとみらいといった、おしゃれゾーンを避けるように通っている。なぜなら、おしゃれゾーンは埋め立て地だから、江戸時代には海だった。

上台橋。下は川かと思いきや、道路。

旧東海道は高台を進み、辺りは高級そうなマンションだらけ。道行く人もセレブな気配。

神奈川 台之景

歌川広重 東海道五拾三次 神奈川 台之景 保永堂版

広重の画は、神奈川宿の西側の「台」と呼ばれた付近を描いている。かつては緩やかな坂を登った台地となっていて、すぐそばまで海が迫っていた。短縮法で描かれた街道は険しい坂道で表現され、高台である事を強調している。坂に沿って立ち並ぶ茶屋の前では、茶屋の女が道行く男たちの袖を引き、強引に店へと勧誘している。巡礼の親子や厨子を背負い諸国を遍歴する六部が描かれている。海には規則正しく舟が並び遠近感を出している。遠くの半島は本牧、その手前のふたつの断崖は野毛。

横浜駅の北側、台町付近を東側から撮影する。旧街道の坂道は広重の画と同じように高台を通り、手前から3つ目の旅籠の看板「さくらや」は、店を引き継ぎ同じ場所で営業を続ける「割烹 田中家」となっている。付近の景観はマンションが建ち並び、海は埋め立てられたが、歴史は続いている。

老舗料亭 田中家。歌川広重の東海道五拾三次に描かれている「さくらや」を引き継ぎ、江戸時代の創業からおよそ150年間営業している。

坂本龍馬の亡き後、おりょうさんも働いていた。

東横フラワー緑道 高島山トンネル。東急東横線が走っていたが、地下化により線路が無くなり緑道になった。

青木橋付近から横浜駅方向を望む。左から京浜急行線、横浜線、京浜東北線、東海道線。

横浜で昼メシを食おうと思い、ハラ減りをガマンしてきた。横浜といえば中華街、だけど中華街は旧東海道からは随分と離れた場所にある。旧東海道沿いに建つ萬新菜館という中華料理屋に入ってみる。

終わりかけのランチタイム。今日のサービスランチの「エビとレタスのチャーハン」を頼む。この雑な盛り付け、決して食べかけの写真を撮ったんじゃあない。やがて隣の席で従業員のまかないタイムが始まり、店内の奥半分の照明が消える。はいはい、食ったらさっさと出て行きますとも。