三島大社から箱根峠、箱根宿、小田原 その3

京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。昨日は静岡市の府中宿からスタートし絶景の富士山を望みながら三島宿と進んできた。今日は三島大社から、今も残る旧東海道の石畳の険しい登り坂を自転車を漕ぎ、そして押し歩き、さらには担ぎ上げて箱根宿へとやってきた。汗かきまくりで塩を吹きまくった顔が観光地化された箱根に合わない。

箱根神社の大鳥居。観光バスや路線バスから、大量の観光客たちが吐き出される。美味しいもの食べたり、スイーツ食べたり、お土産買ったり、自撮りしたりするんだろうよ。こちとらさびしく、次の宿場の小田原へ向かう。

にぎやかな大鳥居から、寂しげな杉並木の通りへと進む。あぁまた上り坂だ。もううんざりな感じ。

歩道橋かよ! 自転車を担ぎ上げるしかない。

ここは権現坂。再び石畳の登り坂。気持ちが入らない。

箱根から小田原へは外輪山を越えるため一旦登らねばならん。石畳は近年整備されているようだが、角ばった石が敷き詰められているので自転車には都合悪い。荒めの石畳は押して行かねばならん。広重の画の大名行列が下っている坂は、この権現坂だろう。

江戸から旅をして来た人々は箱根の急坂をあえぎながら登り詰め、目前に芦ノ湖を展望し一息つくのがこの辺り。振り返るが木々に覆われ眺望はよくない。と、いう事はそろそろ下りになるのか。

処刑されたお玉を供養している。

お玉という女の子は、元禄15年(1702)伊豆国大瀬村生まれ。江戸に住む叔父の家で奉公していたが、伊豆の実家が恋しくなり抜け出した。箱根の関所の近くまできたが、通行手形を持っていないお玉は厳重な関所の警備を避けて、脇の山を越えて抜けようとした。箱根の関所は芦ノ湖から山の上までずっと柵が巡らせてあり、その柵を乗り越えようとして、からまってしまったところを村人に見つかり、関所破りの罪で捕まってしまった。2月に捕まったお玉は4月に獄門(さらし首)で処刑されるまで、約2カ月の間獄屋に入れられていた。

湯元まで歩いて2時間かぁ。この先下り自転車だとどれくらいだろう。

天ヶ石坂。ようやく下りの気配。

白水坂。下りだと自転車は楽だろうと思っていたが、石畳を下るのはめちゃめちゃ大変。すぐにハンドルを取られバランスを取るのに気を使う。路肩があるのでそちらを下る。尻はリアタイヤ辺りまでずらして進む。

於玉坂。岩場のような下り坂。この付近で、お玉が捕まったとされる。

木の根が張り出し、岩の段差もあり、慎重にしか進めない。でも楽しいのだ。

荒れた下り坂を進むと、甘酒茶屋。創業350年らしいが、旧街道から来た場合だと裏口に到着する。

創業350年の老舗茶屋の甘酒茶屋は、今はなぜか県道732号線沿いに向いて建つ。なぜ旧街道に向いて建てない? 甘酒と力餅が名物とな。

追込坂。

猿滑坂は階段になっているのでパスする。県道732号線をかっ飛ばす。

このまま麓までヒルダウンでかっ飛ばしたい。

見晴らし茶屋からは麓の町が見える。

この先、旧東海道は山の谷間を進む。旧街道はこの先、橿木坂だが今は階段となっているようだ。

県道732号線の七曲り。下りをかっ飛ばすのは楽しいねぇ。

橿木坂付近。このルートを旧街道は直線的に登るのだから、そりゃ大変。昔の人は、あまりの険しさにどんぐりほどの涙をこぼす、と詠われた。途中で旧街道に入りそびれる。

うどん屋、石だたみ。さっき、うどんを食ったのを思い出し入るのやめた。

寄木会館。この辺りの名産は寄木細工。

畑宿の本陣跡付近。バス停の名前もズバリ本陣跡。

県道から階段を下りると旧東海道が現れる。

日陰の石畳はジメジメして石の表面には苔むし、滑りやすい。

慎重に走らすが、石のコケでフロントタイヤが横滑り。石と石の間にタイヤがはまり、あっという間にジャックナイフ。右ひざをこっぴどく打ち付ける。そのあと背中に自転車が圧し掛かる。横倒しの自転車と散らばったペットボトルを見つめながら、ひざの激痛が遠のくまで5分ほど身動きできず立ち尽くす。

また転倒しそうになるほどの段差。さっきの転倒でシフトレバーが無くなった。

木の小橋。足が痛くて川に落ちそうになる。

小川の水は透き通った清流。

岩場のような登り坂。ふんばると足が痛い。

杉には花粉がいっぱいだ。今日は花粉症が爆発!クシャミ鼻水が止まらない。自転車漕ぎながら何度も手鼻をかむ。旧東海道は松並木が整備されていたが、箱根の山は杉並木。

大沢坂。

割石坂には江戸時代の石畳が残っている。

ここにも江戸時代の石畳。ここを家康や秀吉、そして坂本竜馬も通ったと思うと身震いしてくる。

箱根大天狗山神社の前はヘアピンカーブ。ヒルクライム女子ガンバレ!

須雲川村に建つホテルはつはな。名前の由来は北側の山にある初花の滝。うーんお高そう。

葛原坂を下っていくと、須雲川に沿って高級そうなホテルがせせり建つ。

観音坂には石畳が残っているが、気付かなかった。箱根湯元に軒を連ねる民宿には日帰り温泉の看板が。この塩まみれの顔と体をどこかの風呂でどうにかしたい。

銭湯を発見!弥坂湯で、ひとっ風呂浴びていこう。入浴料は300円と思いきや、それは町民料金。外部の人は650円也。

だれもいない貸しきり状態。となりの女湯からはおばあちゃん達の話し声が聞こえてくる。小田原までもう少しあるがガッツリ入浴、今日一日の疲れを癒す。気のいい番台のおっちゃんと一頻りしゃべり、出発を見送ってもらう。

三枚橋から箱根湯本駅を望む。出発を待つロマンスカーVSE(Vault Super Express)。

箱根湯本の温泉街。高級ホテルで贅沢三昧な一晩を過ごそうか。露天風呂で星空を見上げながら心と体を解きほぐし、リッチな夕食と旨い酒に舌鼓。いやいや、今日中に帰らねばならんのだ。

箱根ビール! 1杯だけ飲んでいこうか。いやいや、今日中に帰らねばならんのだ。

小田原宿

上段:今昔マップon the web 明治29年測図 明治31年発行地形図  下段:Google Map 2018

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、小田原宿は、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠屋95軒、宿内家数1,542軒。後北条氏の城下町として発展した町で、江戸時代も小田原藩の中心地だった。宿場は城下の町人町に置かれた。江戸日本橋まで、あと20里27町。

箱根登山鉄道線を走る小田急1000形。登山色。旧街道は山側を通っている。気付いたが戻るのはやめた。そういうアバウトさも大切なんだ、と、自分を納得させる。

板橋見附付近。

武功庵という喫茶店。

再び、ロマンスカーVSE。箱根湯元駅にいたヤツやな。

小西薬局。

小田原宿には4軒の本陣があった。今は4ヶ所に案内板があるばかり。

名産の蒲鉾屋が軒を連ねる。蒲鉾通り。

小田原駅から帰路に着く。帰りも青春18きっぷの旅。小田原から熱海、浜松、豊橋、米原、大阪、尼崎と6回乗り換え、乗車時間9時間ほど。家に着くのは日付が変わる夜中やな。だけど運賃7,880円のところ2,370円なり。大阪近郊は「日付が変わって最初に止まる駅まで」という青春18きっぷルールの除外される区間なので終電まで追加運賃はいらない。

駅前で自転車を袋詰め。輪行チャリダーもたくさん居て、横浜からポタリングして来たおっちゃんと親しく話しながらも、電車の時間がなくあせる。

小田原から熱海まではJR東日本の上野東京ライン15両編成のグリーン車2両付き。さすが東京の電車にちょいとだけビビるが、やっぱ西の人間は、東京に憧れと対抗心がアリアリなんだな。

車内も東京色。

電車内からようやく富士山が見られた。

今回のおみやげは、駿河湾の桜びせんべい。海老の香りとパリッとした歯ごたえ。