三島大社から箱根峠、箱根宿、小田原 その1

京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。今回は静岡市の府中宿からスタートし江尻宿、興津宿、由比宿、蒲原宿、吉原宿、原宿、沼津宿、三島宿と進んできた。箱根越えに備えて、昨日は早めに余裕の打ち切り、スーパー温泉極楽湯で疲れを癒し、いつものごとくネットカフェで爆睡した。今日は三島大社へお参りし、箱根峠を越えて箱根宿、そして小田原へ抜ける東海道随一の難所へと進み行く。今も残る旧東海道の石畳の険しい登り坂をはたして自転車で進めるか。

昨夜、爆睡したネットカフェゆう遊空間を早朝に出立。伊豆箱根鉄道を横目に、まずは昨日もお参りした三島大社へ向かう。

早朝の三島大社。歌川広重の画も早朝の三島大社なので、昨日撮った写真よりもイメージはこちらの方が近い。

三島大社にある「たたり石」。おどろおどろしい名前の石だが、「たたり」とは本来、糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語。この「たたり石」も、大社の前を行き交う人の流れを整理する役目で道の中央に置かれていた。

三島大社前を出発し西へ進む。いよいよ登り坂の気配。

JR東海道本線の踏切を渡ると川原ヶ谷。そこから続く坂道の名は愛宕坂。どうやらアスファルトの下に往時の石畳が埋まっており、路面は石畳風のデザインで整備されたようだ。

初音ヶ原の松並木。国道沿いの歩道は石畳風。

錦田一里塚。江戸日本橋から二十八里の地点。昔の状態を保っている貴重な一里塚。

緑地帯にも石畳風の遊歩道。

臼転坂。臼が転がりだすほどの坂道なのでこの名が付いた。でもたぶん臼は転がりださない。

題目坂という階段を登らねばならん。ならば自転車は担ぐしかない。

天気がよければ富士山がどどーんと見えているハズなのに。富士山見れば元気が出たのに。

こわめし坂。あまりの急坂のため汗と熱で背負っている米がコワメシになったらしい。たしかに背中も汗だくではある。

ちょいと休憩。斜度はこんな感じ。

急坂の途中にも住宅が建つ。

名車ソアラ。先代、先々代が大人気すぎて、このモデルは売れなかったがいい車。

坂道キツ過ぎ、押して歩くしかない。

後ろからローギアで爆音を立てながら軽トラが抜いていく。

たまらん坂道。息は切れ、鼓動は激しく、汗がしたたる。

上長坂だろうか。

かみなり坂だろうか。

突然の吊り橋出現。ここはスカイガーデンという絶景の富士山が見えるドライブイン。吊り橋は三島スカイウォークといい、全長400mもある日本で一番長い歩行者専用吊り橋。

スカイガーデンから三島の街がよく見える。

自転車なのに歩きに負ける。なぜなら自転車押しているから。自転車捨てたくなってきた。挨拶を交わし先に行ってもらう。

旧東海道の旅、あえて石畳の旧道を行くのだ。

階段はイヤだ。担ぐのはやめて、階段横の路肩を押し上げる。

富士見平ドライブイン横から続く旧街道は閉鎖中。しゃあないので国道1号を行く。

ひと山分だけが通行止めだった。

この先は比較的なだらかな石畳。ガシガシ漕ぎ進める。この付近は山中新田として新設された村。昔は両側に茶屋が軒を連ねていたらしい。

ガシガシ調子に乗ってオフロードを満喫していたが、落ちている木の枝を引っ掛けて、スポークとディレーラーに詰まらせる。

山中城。小田原の北条氏が永禄年間に小田原防備のため築城。その後、豊臣秀吉の小田原征伐に備えて西の丸や出丸など増築したが、17倍もの人数にわずか半日で落城してしまった。

山中城の横を旧東海道は進む。

山中城 諏訪神社。

小枯木坂。

国道1号の盛り土のため階段を上がらねばならん。

農家の庭先を抜けるのが正式なルート。

庭先から急勾配の草道が続く。

大枯木坂。

施行平。この辺りの石畳の石の並べ方はザツだ。上からにぎやかな声が聞こえてくる。小学生が5~6人と引率の先生たち。石ころだらけの坂道で自転車を押しながら登っているオッサンに、がんばってくださ~い。と労ってくれる優しい少年たち。峠はあとどのくらいか聞くと、15分くらい降りてきたかな~と嬉しいお知らせであった。

念仏岩。行き倒れた旅人を宗閑寺で供養した碑として建てたもの。自分も行き倒れそうである。