豊橋から二川宿、白須賀宿、新居宿 その3

豊橋の吉田宿から二川宿、白須賀宿と、足の指の激痛をガマンしながら歩いてきた。少しきつめのトレッキングシューズで自転車を漕いでみようと履いてきた。でも、豊橋で自転車をパクられこの有り様。痛さも限界、草履に履き替える。

草履に履き替えたら全然痛くない。さっさと履き替えたらよかった。今日のトレッキングシューズは二度と履かねぇ。

松並木が続く。

津波が来たら2~3m水没するのか。家を新築しているけど大丈夫なのかと心配になる。

今、地震が来たらダッシュで登らねば。草履の今なら痛くないから大丈夫。

クランクのような街道筋にある、たこ焼き・たい焼き平太郎の前には棒鼻跡の石碑が建つ。たこ焼き食いたい。写真を撮っている間に先客がぞろぞろとやって来たのであきらめた。そういや昼メシ食ってない。

新居宿

上段:今昔マップon the web 明治23年測図 明治25年発行地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、新居宿には、本陣3軒、脇本陣なし、旅籠26軒、家屋797軒があった。新居の関所と今切の渡船で栄えた宿場だった。江戸日本橋まで、あと68里34町45間。

新居宿本陣跡。今は耐震補強もバッチリの普通の民家。中から気の良さそうなおっちゃんが出てきた。

旅籠「紀伊国屋」。有料で見学できる。新居の関所とセットで410円。JAF会員証提示で割引き360円なり。

しぶい階段。まるで時代劇。

二階の部屋は天井が異常に低い。鴨居はもちろん頭を屈めないといけないが、部屋の中でも頭を屈めておかないと危険。でもタイムスリップ感満開。

小松楼まちづくり交流館。昔は女郎屋さん。案内係りのお姉さんは親切丁寧に長時間案内してくれた。そして、豊橋で自転車パクられここまで歩いてきた事や、足の指が痛すぎた事のボヤキも笑顔で聞いてくれる。

歴代のお女中の方々。二段目右端の写真の方は今だご健在だそう。

そしてここが、ザ・ビップルーム。若旦那衆が夜な夜な足繁く通ったお部屋。裏手からこっそり出入りできるらしい。

新居関所の西側の門。

国内で唯一現存する関所跡。大地震による津波で大災害を受け三度も移転した。

新居関所は徳川家康が慶長五年(1600年)にはじめて設け、今川氏の家臣であった江馬与右衛門を関所の奉行に任じた。

女と鉄砲の出入りは関所で厳重に調べた。 大名の妻が密かに帰国したり密書を髪や服に隠していないか調べられた。鉄砲は江戸に入って軍事活動が起る可能性がある為、長物の中身まで徹底的に調べた。

入り鉄砲に出女。関所を通過する際、婦人は特に煩わしく関所の改め女に身のまわりを調べられた。頭髪などをかきまわし髪の中に秘密の手紙でも隠していないか、あるいは着物と肌身の間に隠していないかなどと時には裸にされて調べられた。

荒井 渡舟ノ図

歌川広重 東海道五拾三次 荒井 渡舟ノ図 保永堂版

現在は新居と表記されるが、江戸時代には荒井と表記されるほうが多かった。対岸に関所の柵と面番所が描かれている。湖水の上では大名行列を乗せた舟が今切の渡しを荒井に向けて進んでいる。先を進む大きな船は幔幕を張り巡らせ毛槍や吹き流し、台傘、長柄傘などを立てて威儀を正した様子から藩主が乗る御座船のよう。小舟は船頭らが力を込めて操っているが、乗客の中間たちは居眠りをしたり大きく伸びをしたりと、皆すっかりくつろいでいる。

現在の荒井関所は周りがすっかり埋め立てられ湖からは見ることができなくなっている。資料館の方に、「広重の画のように湖から関所が見れる場所はありますか?」と尋ねるが、やはり「今は埋め立てが進んで見ることはできなくなった。ごめんなさいね」と謝られてしまう始末。

関所周辺は埋め立てられ運河のようになっている。

新居町駅から帰ろうか。それとも次の宿場、舞阪宿を目指そうか。昼メシ食ってないので浜名湖の看板よりもラーメン生ビールの幟に目がいってしまう。

遠くの橋は何だろう。マップで見ると国道1号線浜名バイパス。今切口に掛かるのは浜名大橋。明応七年(1498年)の明応地震と津波により浜名湖と海を隔てていた土地が決壊した。

反対側には東海道線と新幹線。橋を渡る間に何回新幹線に抜かれたか分からない。

弁天島から浜名バイパスを見ながらしばらく黄昏る。朱色の鳥居の名前は「舞阪町観光シンボルタワー」。風が吹いて、顔の汗が塩へと変わる。

弁天島海浜公園。温泉やら海水浴やら釣りやらで楽しいスポット。浜松辺りのボーイズ&ガールズのデートスポットかもしれない。

釣り人たち。

リゾートホテルやら建ち並んでいる。ここでメシ食ったら高いかな。

すでに5時をまわっている。ハラ減り過ぎて、もう歩くのはイヤだ。弁天島駅には食べるところは無いし、次の舞阪宿はすぐそこだがまた今度。弁天島駅から電車に乗って豊橋まで戻って、今日こそ豊橋カレーうどんを食ってやる。今日は豊橋から弁天島まで、およそ30kmの道のりを寄り道しながら8時間掛けて歩いてきたが、電車だとたった20分ほど。あぁ悲しい。

豊橋カレーうどん「玉川うどん店」。昨夜は閉まっていたが、今日は開いててよかったよかった。

カレーうどんにはチキンカツとかぼちゃとナスの素揚げ、ウズラの玉子がトッピングされている。うどん自体はツルツルシコシコ、コシはあるが讃岐うどん程ではなく食べやすい。カレーは出汁が香り、かつスパイス感もあるいわゆるカレーうどんのカレー。トッピングの揚げ物を味わうことで単調な味にアクセントが生きる。生ビールとも相性抜群。モリモリ食べてゴキュゴキュ飲んだ。

ひと通りうどんを食べてしまうと、器の底からトロロご飯が顔を出す。追いねぎをかけてスプーンでいただく。今度はねっとりとした食感が新鮮で、二度おいしい。一滴残らずいただきました。

新幹線には乗る事のできない青春18きっぷで帰るので、自宅まで4時間半ほどかかる。さらには風呂に入らず汗だくのままで電車に乗る。周りの皆さんごめんなさい。そしてMERIDAくん、さようなら。