三条大橋から大津宿、瀬田の唐橋 その2

琵琶湖の湖岸の気持ちよさに誘われ大津プリンスホテルまで湖岸の公園を走ってきた。地図を見ると、旧東海道は先ほど下ってきた路面電車の通りを東へ折れるようだ。湖岸を戻り、京阪電車 浜大津駅前から路面電車沿いの緩やかな坂道を登る。

京町一丁目交差点まで戻ってきた。ここは旧東海道と北国街道の交差地点。昔は高札場があった場所。右折すると北国街道、左折すると旧東海道。なので左折、なるほど旧家の町家や古民家を改装したお店が点在している。さすが東海道最大の宿場だっただけあり、走りがいのある旧街道らしい町並みだ。しかし近代化の波はあちらこちらを蝕んできていて、ずいぶんと空き地やビルも目立つ。

格子の美しい古民家が軒を連ねる。

一筋右向こうに塔のある重厚な建物が見えた。滋賀県庁のようだ。街道筋を右に曲がり県庁の前に行ってみる。昭和14年に竣工されたルネサンス様式の鉄筋コンクリート造り4階建ての存在感のある建物は、中央部に塔がそびえ、左右対称に広がっている。正面には車寄せがあり、その手前には三段の受け皿の上に四体の裸婦像が立つ噴水が配置されている。正面から写真を撮るが画面に建物すべてが収まらない。今日はミラーレス一眼の広角レンズを持ってきていなかった事に後悔しながら、コンデジで下がれるだけ下がり撮ってみるが、建物の左右が収まらないし逆光だしで残念な結果となった。県庁を後に街道筋を進む。

京阪石山坂本線の踏切を越え、この先も旧家が点在する住宅街を走る。ふと柳の木に目が留まり立ち止まってみる。松尾芭蕉の墓と木曽義仲の供養塔がある義仲寺との事。有料なので先に進む。

鍵状になった道端の膳所城総門跡と刻まれた石碑を横目に進む。

響忍寺の門前に雰囲気の良い酒屋を見つけた。1910年創業の加藤酒店は近江の地酒が充実している。藤居本家の旭日や福井弥平の萩乃露など美味そうな地酒が並んでいる。買って行きたいが自転車なので断念する。

気がつくと家並みの雰囲気が変わり旧東海道を外れたことに気付く。しばらく彷徨ったあげく方向も見失い、ついにスマホナビに頼ってしまった。いつのまにか逆方向に進んでいた事に愕然とした。方向感覚はある方だと思っていただけにショックである。住宅地を流れる用水路のような川を見ながら間違えた地点を探す。この川は水量が多く勢いよく流れている。しかも水がきれいだ。琵琶湖に注ぐのだろう。とりあえず加藤酒店まで戻り再スタート。

よく見ると辻の電信柱に旧東海道の看板が出ており矢印で示している。電柱を良く見て進む事にする。

旧街道の趣が残る街角。

この辺りの旧家の玄関脇には折り畳まれた木製の作り付けのベンチの様な物が目に付く。ご近所さんと玄関先での将棋でも指しながらのコミュニケーションに便利な設備だ。

次の曲がり角では左方向の路地の先に琵琶湖のブルーが眩しく目に飛び込んできた。後からサンシャインビーチとわかる。住むにはとてもよさそうな所だ。

膳所駅前とは反対側に天守の様な建物が見え、膳所城だと思い近づいてみるが市民センターだった。実際の膳所城は琵琶湖畔にある。城門をくぐり城跡公園に入り一回りするが、遺構は特に無い。

かつての膳所城は徳川家康の命により藤堂高虎が設計した。本丸は琵琶湖に浮かぶ出島となっていて、湖上の船運を抑えていた。湖水に写る四層の天守閣は東海道を旅する人々の目に美しく映っていたに違いない。

旧東海道に戻り、しばらく直線の街道を快調に走る。しかし道の雰囲気が街道筋と違ってきたことに不安を感じスマホで確認。すでに曲がり角を通り過ぎていた。紙の地図は良いがスマホナビは使わないという自分ルールだったが、今日は突然の行き先変更だからしょうがないと言い訳しながら来た道を戻り、普通の四つ角を曲がる。すべての辻に看板があるとは限らないのか。

瓦ヶ浜駅横の踏切で捕まる。二両編成のちはやふるラッピング京阪電車が駅に止まりそして発車して行く。踏切から見える線路は急カーブで右に曲がっている。旧街道はこの先の角で左に折れ、先ほどの急カーブの線路を再び踏切で越える。

旧街道はこの先も右へ左へと折れ進む。古民家も多く旧街道筋の様相が続く。

石山の街を抜けると瀬田の唐橋が見えてきた。今の瀬田の唐橋はコンクリート製となってしまっているが、橋げたや橋の欄干など往時の雰囲気を継承したデザインとなっている。

代々受け継がれているギボシが雰囲気を盛り立てる。なぜ?ギボシの先端が写ってな~い!と自分の写真の腕に自己嫌悪を覚える。

瀬田の唐橋の架かる瀬田川は琵琶湖疏水を除き、唯一琵琶湖から流れ出る川だ。この川は天ヶ瀬の渓谷を抜け宇治に出る。名前を宇治川に変え、いくつかの支流を従えながら京都の伏見、淀を経るが、昔は小椋池に流れ込んでいた。小椋池は魚貝類に恵まれ名勝地としても親しまれていたが、洪水が頻繁に起こっていたため、河川の改修を行い単独の池となった。その後付近住民から漁業から農業に転換する要望もあり、昭和18年に干拓が完成した。今も広大な農地となっている。宇治川は桂川、木津川と山崎付近で合流し、そこから先は淀川と名を変え大阪から瀬戸内海に流れ出る。つまり大阪人はこの水を飲んでるんだねぇ。

唐橋を渡り、2車線化された道を進んで行くと、二股の分かれ道となる。旧東海道のルートは直進し、すぐを左折するが、その先の雰囲気に誘われ直進してしまった。建部大社の参道が緑に溢れていたためである。付近は新興住宅街となり、間違えた事に気付く。住宅街を迷いながらくねくねと進んで行く。方向感覚が狂うが太陽の位置でなんとか進む。どこをどう通ったか分からないまま国道1号線に出た。

少し休憩しようと思い、JR瀬田駅前に行ってみる。駅前に餃子の王将を発見。腹が減っているし、餃子倶楽部のカードもあるし、迷うことなく汗だくのまま王将へ直行する。

餃子2人前と生チューを頼んで待つ事1分、生チュー登場。のどを鳴らし、一気に飲み干す。めちゃめちゃうまい。餃子が焼きあがる前に生チューのおかわりを頼む。餃子が焼きあがり、ゆっくりと2杯目を飲んだ。餃子と生ビールは最強コンビだ。店員の女の子に汗だくですねと話しかけられ、神戸から自転車で来たからね、というと大爆笑された。信じてないのかも。一人で自転車を漕いでいると人恋しくなるので、その暇そうな店員の女の子としばらく世間話しをする。やがて汗だくだったTシャツが半乾きになった頃、自転車でも飲酒運転となる事に気付く。このまま自転車では帰れない。しょうがないのでJRで輪行して帰ることにする。しかし本当は王将に入る前から輪行帰宅は計画的だった。

快速、新快速と乗り継ぎ、1時間半ほどで帰宅した。自転車を担いでいる汗だくで餃子と酒臭いおっさんが乗り込んだ車内は、かなり迷惑だったに違いない。