四日市から桑名宿、七里の渡し、宮宿 その1

京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。旧東海道を軸に四日市宿まで進んできた。前回、輪行バックを忘れたため近鉄四日市駅前駐輪場に一時預けで預けたものの、次の旅の日程が決らず一旦車で取りに行った。8月下旬、ようやく日程が取れたため、再び江戸を目指す一泊二日の旅に出かけた。

鶴橋6時36分発の近鉄特急アーバンライナーに乗るため自宅を朝5時ごろ出発する。

鶴橋に到着。早朝のため焼肉屋は皆閉まっているが、さすが焼肉の街だけあって早朝の空気にも焼肉臭が漂っている。あらかじめ鶴橋駅の駐輪場に預けていた自転車を、焼肉牛一の前でモンベルの輪行バックに詰める。大阪駅で環状線の内回り外回りを乗り間違えるというヘマのため時間が無くなり、猛スピードで作業しなければならない。モンベルの輪行バックは、まず自転車を倒立させ、前輪後輪をはずし付属のベルトで留める。フレームに肩掛けベルトを留め自転車の上からバックをかぶせて裾紐を締めるという超簡単な操作で完成する。5分くらいでできあがり。ただしサドルとハンドルが地面に付くのでコンビニ袋など被せるべし。

輪行バックの中の自転車はこんな感じ。画像はモンベルホームページより。

発車時刻きわきわ、汗だくで近鉄特急アーバンライナーに間に合った。アーバンライナーには喫煙スペースの向かいに自転車を置いておくためのようなちょうど良いスペースがある。ナイス近鉄、ナイスピンボケ。

早朝のため鶴橋の時点では1車両に数人しか乗っていない。貸切列車を満喫か、と思いきや次の停車駅の大和八木でおっちゃんが隣に座ってきた。周りはガラガラなのに、なぜここだけ隣り合わせなんだ?鶴橋駅の駅員の意地悪かとか、おっちゃん車両間違ってないか、とか思わずにいられないほどの違和感。しかしその後、伊賀神戸、名張と停まるたびに周囲は混雑してきた。さすが近鉄特急、もうかってまんな。

アーバンライナー21000系。近鉄四日市に8時36分定刻に到着。3,520円也。

近鉄四日市駅前で自転車を組み立て、ローソンでおにぎりをイートイン。ついでに日焼け止めも買う。

駅前から商店街を通り、スワ前商店街へ。9時前だがまだ店は開いてなくシャッター商店街のテイ。前回訪れた夕刻時はたくさんの人で賑わっていた。

前回終了時にもお参りした諏訪神社へ寄る。今日明日の無事を祈願してみる。ここ諏訪神社が前回の終着地点だった。さて旧東海道の旅、続きを開始だ。

前回、四日市宿の歌川ポイントを鹿化川で撮影した。歌川広重の画は三重川とあり、実はここ三滝川のようだ。それっぽい構図で撮影してみる。通りかかりのおばちゃんの帽子が飛べや~と願いながら。

海蔵川。ただただ暑い。

八田地区にある「かわらずの松」。樹齢200年で江戸時代から東海道を見守ってきた。東海道沿いには多くの松が植えられていたが戦後開発により姿を消している。この付近の町名が河原須だったことから「かわらずの松」として命名され愛されている。

なかよし3人組み。この先の工事現場も元気良く「通りまーす」と警備員に告げて進んで行く。

力石。明治の中ごろこの付近の御堂を再建するにあたり、奉仕作業の人々が休憩時にこの石を持ち上げて力比べをしていたそう。大きい石は32貫(120kg)、小さい石は子供用で5貫(19kg)。

富田付近。昭和チックな通り。富田は桑名宿と四日市宿の間の宿として多数の旅人が休憩していた。

富田菓庵「清華堂」。パリッとおいしい出来立てもなか、麩まんじゅうが気になる。

近鉄名古屋線の奥には三岐鉄道。右手にはJR関西本線。

古民家の向かいにはミニストップ。マンゴーパフェ食いてぇ。

朝明川を渡り、伊勢湾岸自動車道の巨大高架をくぐると桜並木。春に通りたい道だ。

東芝三重工場。がんばれ東芝。明るい東芝。それはナショナル。

近鉄特急ビスタカー30000系。子供の頃2階建て車両に憧れていたなぁ。まだまだ現役なんだなぁ。近鉄伊勢朝日駅で日焼け止めを塗ってみる。

員弁川に架かる町屋橋を渡ると、伊勢両宮常夜燈が建つ。文政元年(1818年)建立。

八田立場。いよいよ桑名宿。旧東海道はここから90度向きを変える。この先、鍋屋町、伝馬町、鍛冶町と向きを変えクネクネと進んで行く。人がまったくいないのは暑さのせい?

桑名宿

上段:今昔マップon the web 明治24年測図 明治26年発行地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、桑名宿は、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒、家数2,544軒。東海道の旅籠屋数では宮宿に次ぐ2番目の規模だった。桑名城の城下町として、また宮宿への七里の渡しや尾張国津島、伊勢国津や松坂とを結ぶ水上交通の重要都市として栄えていた。江戸日本橋まで、あと95里35町7間。

ここの標石もギブスをはめている。

桑名宿。なんとなく旧街道の趣き。ここの通りにも人がいない。

歴史を語る公園。もとは桑名城の外堀。三の丸の石垣が残っている。

堀川の東岸は桑名城の城壁の一部で市の文化財。暑くてだれもいない。

春日神社。銅製の鳥居は寛文七年(1667年)に建てられた。

七里の渡し跡に到着。鳥居と常夜燈のモニュメント。歩き東海道の人がひとりいた。

七里の渡し。

桑名 七里渡口

歌川広重 東海道五拾三次 桑名 七里渡口 保永堂版

桑名藩11万石の城下町であった桑名宿は伊勢湾交通の要所として伊勢神宮や熱田神宮への参詣人の行き来で賑わっていた。桑名城を背にした船着き場に大勢の乗客を乗せた2艘の渡し船が帆を下ろしている。海面には日差しが反射しさざ波がきらきらと輝いている。

七里の渡し跡のそばの内掘に並ぶモーターボートと蟠龍櫓を構図に入れてみた。治水のための堤防がその先の揖斐川とを遮断している。堤防の向こう側は広々とした揖斐川が流れている。堤防が無ければ広重の画のように雄大な景色が広がっているはず。

その堤防の上から蟠龍櫓と揖斐川を望む。さらに奥に見えるのは長良川と長島。

反対側を見ると長良川河口堰。本州の川で唯一堰の無かった長良川に、反対を押し切り、総工費1,500億円を掛け、今までもこれからも年間維持費10億円が必要な、治水と利水のための河口堰。鮎や蜆は減り水は余っている。やっぱ役人仕事やな、ちゃんちゃん。