多田街道

現在、大阪でもなく神戸でもない、漫才のネタにもある「ちゅーとはんぱ」な伊丹に住んでいる。大雑把にいうと阪神間と呼ばれる地域だが、大阪から放射状に伸びる鉄道により兵庫県なのに県庁所在地の神戸ではなく大阪へ出向くほうが何かと便利な地域だ。その昔、伊丹は豪族伊丹氏により伊丹城の城下町として発展し荒木村重により有岡城と改名、その後も日本酒醸造により栄えた町だ。その伊丹郷町から川西市多田にある多田神社へ続く参拝道として多田街道という旧街道がある。

伊丹郷町-北村(旧西国街道との辻)-久代村-下加茂村-栄根村-火打村-萩原村-西多田村-多田院

今昔マップon the web 埼玉大学教育学部 人文地理学研究室の谷謙二先生が作成公開している今と昔を比較できるスゴイ地図

自宅を出発、ひとまず有岡城跡を目指す。酒蔵通りにあるアリオで飲み物と軽食を調達し出発。

伊丹では白雪酒造と老松酒造の2軒のみとなってしまった酒蔵のうち、白雪酒造が運営している白雪ブルワリーレストラン長寿蔵。内部は改装されおしゃれなレストランとなっている。自転車やめて冷えたビールを飲んじゃおうか、という悪魔の誘いを振り切り出発。

猪名野神社の脇を抜け、伊丹緑地の段丘下を北進する。その伊丹緑地を寸断しないための苦肉の策である伊丹坂トンネル手前で産業道路を横断すると脇にそれていく小道が多田街道だ。

しばらく行くと水車小屋がある。大正時代まで現存していた水車小屋を復元したようだ。

多田街道と旧西国街道との辻。道標の辻の碑がある。

辻の碑は高さ92cm、幅76cmで鋭角な部分を上にして据えられている。「従東寺拾里」と書かれた文字が残っている。剥がれ落ちた部分には、摂津の国東端の関戸、西端の須磨、北端の天王、南端の大小路からそれぞれ七里の距離にあることが刻まれていたようだ。

今昔マップon the web 埼玉大学教育学部 人文地理学研究室の谷謙二先生が作成公開している今と昔を比較できるスゴイ地図

街道筋らしく旧家や寺社仏閣が点在している。

道の端を流れる小川には竹の筒が架けられ花が活けられていてとても雰囲気が良い。

多田街道沿いの多田さん宅

国道171号線の高架を過ぎると、伊丹市立ローラースケート場がある。子供が小さい頃はちょくちょく来て遊びにきていた。その先は巨大マンションや巨大工場などにより多田街道は跡形も無い。

久代にある久代さん宅

今昔マップon the web 埼玉大学教育学部 人文地理学研究室の谷謙二先生が作成公開している今と昔を比較できるスゴイ地図

国道176号線と中国自動車道の高架を過ぎるとイチジク畑が一面に広がる。

最明寺川を渡り住宅地を進むと、JR福知山線(JR宝塚線)に分断され進めなくなる。来た道を少し戻り踏み切りを渡る。川西小学校の校庭をぐるりと周り寸断された反対側に出る。

JR沿いに産業道路を越え、旧街道の細道に入っていくと目の前に阪急百貨店とアステ川西のショッピングセンターが立ちはだかる。阪急電車の川西能勢口駅を過ぎ、モザイクボックスの横を抜け、第二協立病院を過ぎたところで産業道路に再び出る。

今昔マップon the web 埼玉大学教育学部 人文地理学研究室の谷謙二先生が作成公開している今と昔を比較できるスゴイ地図

火打の町並みには旧家や古民家が点在している。

こっちを見ている蔵野蔵之介

民家の間から森へ続く道。どこへ続くのかと登ってみたが上には県道12号線を行き交う車が高速道路さながらびゅんびゅん走っていた。

そして地獄の登り坂が始まる。この先は、萩原台という新興住宅地が広がっている。昔は阿古坂といい完全な山中だったが、山を削り、谷や池を埋め住宅地となっている。しかし旧街道のルートを継承して区画割されていて、今昔マップとマッチしている。

汗だく息切れ心拍数全開で新興住宅地萩原台の坂道を登っていくと背後に大阪の風景が広がっていた。

今昔マップon the web 埼玉大学教育学部 人文地理学研究室の谷謙二先生が作成公開している今と昔を比較できるスゴイ地図

新興住宅地の頂上にある巨大な水道タンクを過ぎると、ご褒美の下り坂。全身に風を浴び下りていく。

西多田自治会館で地域ふれあいイベントを横目に県道12号線の地下道をくぐり、西多田の集落を進む。

農家の香りがぷんぷんする西多田の集落を抜けると、多田神社の鳥居がある。

鳥居の向こうには猪名川を渡る赤い橋が架かっている。明治時代にも橋は架けられていないようだ。

自転車を置き石段を登る。多田神社は天禄元年(西暦970年)に創建され、第五十六代清和天皇の曾孫 贈正一位鎮守府将軍 源満仲をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、源氏発祥の地と言われている。

拝殿は国指定重要文化財。四代将軍徳川家綱により再興される。桁行7間、梁間3間の大規模な入母屋造、檜皮葺屋根の構造物である。

御本殿も国指定重要文化財。こちらも家綱により再興され、桃山時代の姿をそのまま継承した素木の入母屋造、檜皮葺屋根の建造物である。前景は残念ながら見えない。

エッジの効いた檜皮葺屋根。スタイル抜群だ。

葵の御紋と菊の御紋がかっこいい。千木は外削ぎ。つまり男神。

帰りは萩原台(阿古坂)の坂道を避け、平坦切り通しの篠山街道を戻ることにした。